一筋の執着



深緑の上、白く一閃したものを、ガイは見逃さなかった。
「旦那、ちょっと」
「何です?」
呼びかけられて、本棚に向かっていたジェイドが振り返る。
問いかけには答えず、ガイはすっと手を伸ばした。
軍服に覆われたジェイドの肩口を、ほんの一瞬掠めるように、ガイの指先が滑る。
不思議そうな顔をするジェイドの前で、ガイはああやっぱり、と呟く。
「ほら」
指先を、ジェイドの目前に突きつけてやる。
ガイの指先にあるものを、ジェイドはじっと見つめると、ひょいと摘み上げた。
資料室の中、ジェイドは手元にあるものを、窓に向かってかざしてみる。午後の日差しに照らされて、それは一瞬、白く光った。
「白髪、ですか」
「だな」
ガイがジェイドの肩口から摘み上げたものは、本来のジェイドの髪色より薄く、更に言うなら、ガイの明るい金髪の色よりも薄い色をした、一筋の髪であった。
紛れも無く、白髪である。
「はあ……」
ジェイドはそう呟くと、まじまじと指先を見つめた。
三十過ぎの軍人が、指先で摘んだ白髪を、日差しにかざしたまま微動だにしない図は、妙に哀れで滑稽だった。
耐え切れなくなったように、ぷっとガイがふきだした。
「おいおい旦那、そんなに見つめても、白髪は赤くならないぞ」
「それは、そうですが」
やっと白髪から目を逸らしたジェイドに、ガイは声をあげて笑い出した。
「そうショックうけるなよ。アンタぐらいの年齢になりゃ、白髪なんか普通に出てくるって。いつだって平然とした顔してるけど、アンタ結構苦労してるんだし、白髪ぐらい何の不思議もないだろ?」
「いえ、そうではなくて」
半ばからかいつつも、慰めの言葉をかけるガイの前に、ジェイドは指先を突き返す。
何だ、とガイが尋ねるよりも先に、ジェイドが口を開く。
「これ、貴方の髪ですよ」
「…………はい?」
思わず、ガイが固まる。
白髪を摘んだ指先を、ジェイドは左右に揺らして見せた。
「私のものにしては、長さが足りませんね」
確かに、ジェイドの指に挟まれた白髪は、彼自身のものとしては少々短い。
「……や、でもさ、付いてたのは肩だぜ。前髪だったら、十分足りる長さじゃないか?」
「髪質が違いすぎます」
ほら、と差し出されて、ガイはジェイドの指から白髪を摘み取る。
短い白髪は、かなり硬質のもので、ジェイドの柔らかい髪とは程遠かった。むしろ、毎朝しっかりセットしている、自分の金髪とよく似ていた。
というか、そのものだった。
「う、嘘だろぉっ!」
軽いショックで、ガイは裏返った叫び声をあげた。
ははは、とジェイドが声をあげて笑う。
「いやあ、いつだって平然とした顔してますけど、貴方結構苦労してるんですし、白髪ぐらい何の不思議もないでしょう?」
先程言った言葉を、そのまま返されて、ガイはジェイドに背を向けるようにして頭を抱えた。
「俺、まだ二十代入ったばっかだぞ……」
ぐったりした様子で呟くガイの前で、彼よりも十四歳年上の軍人――しかも、白髪がまるで見当たらない――が、爽やかな顔で笑っている。
「まあ、自分で気付いただけでも、良かったじゃないですか」
「誰が気付こうが同じだろ……」
「そうですか?」
聞き返すジェイドの声が、少々悪戯っぽい。
「だって、私の肩口に、貴方の髪が付いていたんですよ」
何が言いたいのだろうと、ガイは振り返ろうとした。
しかし、ガイが振り向くよりも早く、ジェイドの腕が、ガイの体を抱きしめた。
「おい何して……!」
逃れようとしたガイの耳元に、ジェイドが唇を寄せる。
僅かに感じた吐息に、ガイが背筋を強張らせる。
目には見えずとも、ジェイドが微笑んだことを、ガイは感じ取った。
「こういう風にしていたこと、誰かに気付かれていたかも知れませんよ?」
ジェイドに囁かれた途端、ガイは一瞬、息が止まった。
指先から、摘んでいた白髪が滑り落ちる。
息が戻ると、一緒になって、掠れた声が、ガイの口から漏れた。
「……そ、れは、まずい……よな」
「でしょう」
満足したように、ジェイドが頷いた。
抱きしめたままのジェイドの腕に、ガイはそっと手を添えようとした。
「待て、アンタ何してる!」
 が、ジェイドの手が、首元を探っていることに気付いて、ガイは慌ててそう叫んだ。
ジェイドはさして気にする様子も無く告げる。
「まだ白髪があるか見てみようかと」
「別に良いって!」
今度こそ、ガイはジェイドの腕の中から逃げ出した。
「おや、残念」
つまらなそうな顔をするジェイドに、二十代に入ったばかりの苦労人は溜息を吐いた。
「俺の苦労の原因は、半分ぐらいは旦那にあると思うぞ」
ジェイドは何も言わず、笑うだけだった。
笑いで揺れる肩を、ガイは目を細めるようにして見つめ、呟いた。
「今度は、残ってないだろうな?」
何が、とは言わない質問に、ジェイドは頷いてみせる。
「ええ、多分」
そう答え、先程ガイの頭が触れていた辺りを、軽く手で払った。
深緑の軍服の上を、ガイはじっと見つめた。
そこには、先程までガイの頭が触れていたことを示すものは、何も残っていなかった。
よし、とガイは頷く。
「これで気付かれないな」
「そうとも限りませんよ」
「怖いこと言うなよ」
笑って、ガイは呟いた。
「気付かれるもんか」
 きっぱりと言い切ってみせれば、ジェイドが眼鏡の奥にある双眸を、僅かに細めた。
「大した自信ですね」
 そう返すジェイドは、楽しそうな顔をしていた。
ジェイドの表情を見つめながら、気付かれてたまるか、とガイは心中で呟き直す。
他人の気力を吸って若さを保ってそうな、性質の悪い相手、しかも同性にのめりこんでしまっているなんて、気付かれてたまるもんか。
他の誰にも。
そして、ジェイド本人にも。
床に落ちたであろう白髪を思い出し、ガイは苦笑する。
ガイ自身からは離れても、ジェイドの肩からは離れようとしなかった、一筋の髪。
まるでそれは、自分の持つ、ジェイドへの執着を表しているようではないか。
髪の毛一本、細胞のひとつまで、ジェイドへの恋慕の情に溢れているようではないか。
それがあながち嘘じゃないなんて、性悪の大佐殿に気付かれたら、何を言われるか――ひいてはされるか、分かったもんじゃないのだから。





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