傷より疼く



「げっ」
髪を整えようと、鏡の前に立ったガイが、心底嫌そうな声を上げた。
「おいジェイド」
「何です?」
ガイが振り返れば、いつものごとく、涼しい顔をしたジェイドが、椅子に座って眼鏡を拭いていた。
つかつかと歩み寄ったガイが、自らの首元を指差した。
「これ、どうしてくれるんだよ」
ガイの示す指の先には、赤く鬱血した跡がある。
勿論、自分でつけられるようなものではないし、ならつけた相手は、といえばジェイドしか思いつかなかった。
「ああ、ばれましたか」
顔をしかめるガイとは対照的に、ジェイドは朗らかな顔で、はははと笑ってすらみせる。
笑い事じゃない、とガイは呟く。
「色々詮索されるのは俺なんだぞ」
詮索好きの乙女二人と、親友の計三人を思い浮かべ、げんなりとした顔をガイはする。
しかしジェイドは、さして気にする様子も無い。
「ま、大丈夫でしょう」
そう言うと、ジェイドは脇に置かれた机の上にあるものを手に取った。
「ほら」
「おっと」
手に取ったものを、ジェイドがガイに向かって放り投げた。
空中で金色に光ったそれを、ガイは難なくキャッチする。
それは、彼のチョーカーだった。
「私が何の考えもなく、跡を付けるような真似をすると思いましたか?」
眼鏡を掛け直しながらジェイドが言う。
「ちゃんと首輪の陰に隠れるようにしましたよ」
「首輪とか言うな!」
「同じようなものじゃないですか」
しれっとした顔で呟くジェイドに、全然違うぞとガイは首を横に振る。
「首輪じゃない、これはただのアクセサリーだ」
「それにしては随分大きいな、と以前から思っていたんですよ。初めに見たときは、その下に太刀傷でもあるんじゃないかと疑いましたよ」
「アンタ、随分歪んだ発想するんだな……」
それはどうも、と笑って言いながら、ジェイドが立ち上がった。
「ところで、知っていますか?」
「何が」
首輪、もといチョーカーを弄びながら、ガイが聞き返す。
その手を、チョーカーごと包み込むように、ジェイドがそっと握った。
「チョーカーやベルト等の、締めるアクセサリーを好む人は、束縛されたい願望があるそうですよ」
「ねえよそんなモン!」
そう叫んで、ガイはジェイドの手を振り払った。
おや、とジェイドはわざとらしく驚いた様子を見せる。
「何驚いてるんだよ」
「貴方の下僕……いえ、使用人魂は、束縛されたい願望を根源としていると思ったんですがねえ」
「ないない、絶対ないぞ!」
「それは残念」
何が残念なんだ、と問おうとしたガイだったが、彼が口を開くよりも早く、ジェイドの指先が、すっと首元に伸びてきた。
「他の誰かに束縛されるぐらいなら、私が捕まえておこう、とね」
ひやりとした感触に、ガイは僅かに息を呑む。
赤く鬱血した箇所に、ジェイドの指が触れていた。
「首輪より、ずっと分かりやすい束縛の証でしょう?」
ジェイドの囁きが、ガイの鼓膜を揺らす。
少し体温の低いジェイドの指の下で、赤い跡が次第に疼きだすような気がした。
この男が跡を付けたのだと、主張するように。
「……だから、首輪じゃないって言ってるだろ」
ガイが呟くと、ジェイドは微かに笑って、ガイの首元から指を離した。
それでもまだ、赤い跡はじんじんと疼いているようだった。
「買い物があるので、少し出かけてきます」
そう言い残すと、ジェイドはさっさと部屋を出て行ってしまった。
後に残されたガイは、ジェイドの足音が聞こえなくなってしばらくしてから、のろのろとチョーカーを首につけた。
金具をしっかりと留めてから、ガイは鏡の前に立った。
首元の赤い跡は、チョーカーの陰に隠れて見えない。
少しだけチョーカーをずらして、赤い跡を露出させる。
すぐに消えてしまうだろう束縛の跡に、ガイは指で触れてみる。
痛みもない、熱もない赤い跡。
消えろ消えろと思う反面、ずっと残っててくれと、頭のどこかが願っている。
愛しい人の心は自分にあると、ずっと思い知らせて欲しいのだ、と。
「いっそ太刀傷だったらな」
静かに呟き、ガイはチョーカーを元に戻す。
太刀傷のような、一生消えない跡ならば、こんな愛情、抱かなかったかもしれないのに。





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