わたしたちをつくるもの



人間の体は、音素と水と食べ物で出来ている。
人間は何かを食べなくては生きていけない生き物であり、それは世界が外殻にあろうと、魔界にあろうと、変わることのない真理である。
魔界とは思えないような、穏やかな光のさす森の中で、小さな焚き火が燃え上がっている。
赤い火の中に、枯れ枝をくべながら、ジェイドが呟く。
「火の具合は大丈夫そうですね」
しゃがみこんで、同じように火の勢いを見ていたルークが頷いた。
自らの髪とよく似た色の炎を見つめていたルークが、ふと顔を上げた。
「そういや、ガイの作る料理食うのも久しぶりだな」
石を積んで作った、即席のかまどの上で、鍋がぐつぐつ音を立てている。
中で煮えるカレーをかき混ぜながら、ガイはまあな、と呟く。
「何せ一ヶ月も会ってなかったわけだし」
「マルクトでは貴族の身分なのでしょう。料理するのも、久しぶりではありませんこと?」
カレーライスのライスを担当する女性陣の中、早々にお役御免となったらしいナタリアが尋ねてきた。
「そうでもないぞ。少なくとも週に三日は自分で料理したさ」
「まあ、立派な心がけですわ」
「そう言うなよ、人に作ってもらうと、何か落ち着かなくてさ」
明るい驚きの表情をしたナタリアに、ガイは笑ってそう返した。
「まあ、使用人根性が抜けきっていないだけでしょうね」
「そう言うなよ……」
少々性格の悪そうな微笑を浮かべるジェイドに、ガイはがっくりした様子でそう返した。
「でもでも、なんかガイらしいって感じ」
アニスにまで言われてしまえば、ガイはもう、肩を落とすしかなかった。
「美味しそうですのー」
その様子に気付かないのか、気付いていても気にならないのか、ミュウが呑気な声をあげて、鍋の中身を覗いていた。
身を乗り出しすぎて、鍋に落ちかねないミュウの背中を、ルークはぐいと引っ張った。
「お前、チーグルカレーになっちまうぞ」
「みゅうううう、食べられるのは嫌ですの」
「良いですねえ、チーグルカレー。今まで食べたことがありませんが、一体どんな味が……」
「みゅうううううう!」
「……アンタ、今ちょっと本気だったろ」
逃げ出すミュウを見ながら呟くガイに、ジェイドは笑うだけだった。
「大佐、ミュウをいじめないで下さい。ガイ、こっちの準備は出来たけれど、そっちはどう?」
ミュウを後ろに庇いながら、ご飯の炊き上がりを見ていたティアが尋ねる。
「こっちも平気だ。良い感じに煮えてる」
よし、とルークが立ち上がる。
「ティア、俺ご飯大盛り!」
「ミュウも大盛りが良いですの!」
「お前草食だろ、何でカレー食うんだよ」
「ルーク、ミュウに意地悪しないの! ……でもミュウ、本当にカレー食べて大丈夫なの?」
「はいですの! ご主人様と一緒なら、何でも食べますの!」
「って俺の食う分減るじゃねーか!」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ二人と一匹には構わず、ジェイドはさっさとご飯を盛り付けている。
「あーっ、大佐ずるいー!」
「抜け目ないこと……」
「全くだ」
言いつつも、ガイはジェイドから差し出された皿にカレーを盛った。
「じゃあ、アニスちゃんも」
「あ、俺だって!」
「ミュウもですの!」
先を争うような言葉を発してはいるものの、辺りの空気は明るく、和やかだった。
きっと空腹の体に、カレーの匂いが作用してるからに違いない。
全員が全員、自分の分を盛り付けると、焚き火を囲むようにして、思い思いの場所に陣取った。
「いっただきまーす!」
「ですの!」
ルークとミュウを皮切りに、それぞれがいただきますの挨拶をする。
ぱくっと口に入れたルークが、満面の笑みを浮かべる。
「うめー! ガイ、本当に料理上手いよな」
服が汚れないようにと、首からスカーフをさげたナタリアが同意する。
「ええ、本当。私もガイのように料理が作れるよう……」
「無理だろうなあ」
「まあ! 貴方だって無理ではなくて?」
「二人とも、食事ぐらい静かに食べてちょうだい……」
呆れたような顔で、ティアがぼやいた。
「ケンカは駄目ですの! 美味しいカレーが冷めてしまうですの!」
カレーの乗った皿を抱えるように持ったまま、ミュウが言った。
「ええ、そうね。ミュウはよく分かっているのね」
ルークとナタリアへの態度とは対照的に、にこにこと笑いながら、ティアはミュウに話しかける。
「こんなに美味しいカレーなのに、勿体無いわ」
「カレーも美味しいけれど、ご飯もホクホクしてて美味しいですの」
「あら、本当に?」
ご飯炊き担当の女性チームで、リーダー的位置にあったティアが、ぱっと顔を輝かせた。
脇で見ていたガイが、はあ、と感心したような声を上げた。
「なんつうか、皆相変わらずだよなあ」
「だよねえ」
ガイの呟きに、アニスが頷いた。
「賑やかで良いじゃないですか」
そう呟くと、ジェイドはにこやかな表情でカレーを口に入れた。
が、その途端、僅かに目を見開いた。
「あれっ?」
しかしジェイドが何かを言うより早く、アニスが口を開いた。
「ねえガイ、味付け変わった?」
一口食べただけのアニスに聞かれ、ガイは首を傾げた。
「そうか? そんなことはないと思うんだが」
ガイもカレーを食べてみるのだが、別段違和感は感じなかったらしい。未だ首を傾げたままだ。
「本当、少し違うみたい」
ティアにも言われてしまい、ガイはますます首を傾げた。
「そうですの? 気付きませんでしたわ」
「だよな。特に変わったって感じしねーよ」
王族二人の言葉に、アニスはやれやれと肩を竦めた。
「料理下手は育ちだけじゃなくて味音痴も原因かも……」
「何だよそれ」
まあまあ、とガイが苦笑い。
「外で飯作ったのなんて久々だし、ちょっと失敗したのかもな。不味かったらごめんな」
「え、不味くなんかないよ!」
慌てて、アニスが言う。
「そうですわよ。味が変わったかどうかは分かりませんが、美味しいですわ」
「そうね。変わったというか……強いて言うなら、レストランで出るカレー、みたい?」
「お、そりゃ光栄だね」
ティアの言葉を聞くと、ガイは嬉しそうな顔で笑った。
そうか、とジェイドは納得した。
ジェイドが驚いた顔をしたのは、ガイの味付けが変わったからではなかった。
いや、味付けが少し変わっていたのは確かだった。
けれど、変わったということより、その味付けがより自分好みのものになっていたことに、驚いたのだ。
しかし、ガイが自分の食事の好み、しかもちょっとした味付けを熟知してるとは、ジェイドには思えなかった。
ティアの言葉で、ようやく思い当たった。
このカレーは、ジェイドが気に入り、ガイを何度か連れて行ったこともある、グランコクマの酒場のカレーによく似た味ではないか。
味付けには、本人の好みが強く出る。
ということは、ガイもあのカレーを気に入ってくれたのだろうが。
知らずのうちに、ジェイドの唇が微笑む。
「おかわりですの!」
人間が味付けについて話している間、美味しい美味しいと食べ続けていたらしい。空になった皿を掲げ、ミュウが叫んだ。
「はい、それじゃあお皿を貸してもらえるかしら?」
「はいですの!」
ティアがミュウから皿を受け取ると、ルークが慌てて叫んだ。
「おいティア、俺の分までミュウにやるなよ!」
「私の分もですわ」
「アニスちゃんのもー」
「もう、ミュウがそんなに食べるわけないでしょ」
ご飯とカレーを囲む騒ぎから抜けるように、ガイがジェイドの傍に寄った。
「なあ旦那」
「はい?」
ガイがジェイドの皿を指差した。
「さっきから全然減ってないみたいだけど、そんなにやばい味してたか?」
言われてジェイドが皿を見れば、確かに、最初の一口以外はまるで手をつけていなかった。
ああ、とジェイドは笑う。
「そうではなく、ちょっと幸せを噛みしめていたんですよ」
「幸せ? カレーがか?」
尋ねるガイに、いいえとジェイドは答える。
「好きな人と同じものを好きである幸せ、ですよ」
「……アンタ、カレーに中ったか?」
気味の悪そうな顔をしたガイに、ジェイドは失礼ですねとだけ呟いた。

人間の体は、音素と水と食べ物と、誰かの愛情で出来ている。





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